松岡幹夫所長によるご挨拶

 現代の社会では、学問が大きな権威を持っています。その中で、学問では説明できない宗教の世界は、どうしても異質に見えてしまいます。

 宗教が市民権を得るには、その信仰が学問を介する必要があります。つまり、信仰と理性の統合が、現代宗教の大きな課題と言えるでしょう。

 歴史を振り返ると、近代のキリスト教において、一つには教義を学問化する流れがありました。天上の神の存在は信じられないが、心の中にいる神なら理性的に受け入れられる。この種のキリスト教は、心理学や倫理道徳に近づきました。しかし、その代償として、生き生きとした信仰の息吹を失ったとも言えるでしょう。

 そこで、学問研究を受け入れながらも、人間と断絶した神の自由を強調するキリスト教が出てきます。K・バルトに代表される、新正統派神学(弁証法神学)がそれです。前者の学問的神学が失った宗教性を、後者は奪回しようとしています。

 では、仏教はどうでしょうか。現代日本の仏教界を見ると、とかく教義の学問化が目につきます。と言っても、伝統的な教義を学問的に展開するというよりは、むしろそれを学問のフィルターにかけて選別するという傾向にありました。したがって、仏教系の各大学で教えられている「宗学」は、いまや仏教学の支配下にあると考えざるを得ません。各宗派の伝統教義は、文献学や歴史学等の学問によって遠慮なく解体され、理性的で宗教性の薄い内容に再構成されつつあります。言い換えれば、学問の中の宗学になりつつあります。

 また、西田幾多郎らが形成した、いわゆる「京都学派」の哲学は、仏教と哲学の融合とも言われます。これも信仰と理性を統合する試みと言えますが、哲学として論じられている以上、やはり学問の域を出ていません。

 つまり、日本仏教にみられる信仰と理性の統合は、およそ机上の学問が中心であって、生きた信仰を中心としていないのです。学問に従うだけの仏教はやがて宗教性を失い、哲学や倫理思想の中に解消されていくでしょう。

 ここで、仏教を信仰する学徒がなさねばならないことは明確です。それは、「仏教の学問化」でなく「学問の仏教化」です。学問によって仏教を見直すのではなく、逆に仏教によって学問を捉え直すことです。そのような信仰の学の構築が、今日の仏教界では切実に求められているのではないでしょうか。

 私たちは、かかる問題意識の下、自らの足場から仏教の信仰学を形成するために一歩を踏み出しました。私たちの信仰の足場は創価学会です。ゆえに、創価学会の信仰学を追求します。当・創学研究所は、その活動拠点として設立されました。

 振り返ってみると、創価学会の初代から三代に至る会長は、いずれも「仏教の学問化」を厳しく誡めています。「されば学問から生活へは入り得るものでないと同様、神学や宗教学から宗教信仰に入らうとするのは全く本末転倒である。従つて神学や宗教学それ自身さへ正当にできるものではない。然るにそれを出来たと思うて居るのは、その実虚妄なる観念の遊戯でしかない。実生活に応用されないのが其の証拠である」(『牧口常三郎全集』第八巻、六二㌻)と論じ、学問かぶれの信仰者を痛烈に指弾したのは、初代の牧口常三郎先生でした。ここに言う「神学」とは、主に学問的神学を指すのでしょう。

 また、二代会長の戸田城聖先生も、学問研究ではなく、自らの宗教体験を通じて揺るがぬ信仰を確立した人でした。その大確信から、近代ヨーロッパの仏教学とそれに追随する日本の仏教学が仏教の本義を捉え損ねているとし、それを「実証主義の悲劇」(池田大作著『人間革命』第八巻、『池田大作全集』第一四七巻、三三九㌻)と総括しています。

 そして、第三代会長の池田大作先生は、仏法を根本にあらゆる学問を生かすべきことを常々指導していました。例えば、池田先生は次のように述べています。

 

 世界には、さまざまな学問、哲学、論議があるが、人類の最大の難問である生命の本質、「幸福」の確立という根本課題には解決を与えていない……(中略).......(日蓮)大聖人の「大海の仏法」はあらゆる優れた思想、哲学を包含している。決して排他的な、また偏狭なものではない。先駆的な各分野の学問の成果も、すべて妙法を証明していくことになるのである。

 さまざまな川も、海に入れば、一つの海の味になるように、人類の根本的幸福へと、それらは仏法の一分として使われ、生かされていく。(『池田大作全集』第七六巻、四五二~四五三㌻)

 

 日蓮仏法は、大海のごとく万般の学問を包含する。また、学問だけでは、人生の根本問題は解決できない。ゆえに、仏法の智慧で学問を指導し、縦横に生かして使うべきである――。これが池田先生の学問論の根本です。

 学問と宗教を峻別する姿勢は、バルトの神学に通じています。その上で、「宗教が学問を指導する」「宗教で学問を生かして使う」という宗教的な積極性は、バルト神学にもない考え方だと思います。

 以上のように、創価三代の会長は仏法根本の学問論を展開しています。創価学会の信仰は、「三代会長」を「永遠の師匠」とすることから始まります(「創価学会会憲」)。であれば、弟子の私たちは、三代会長が示した学問論に基づき、世界宗教にふさわしい信仰の学を目指すべきではないでしょうか。

 この創学研究所は、まことに小さな存在です。それでも、真の意味で仏教を現代に蘇らせるべく、微力であっても前進を続けてまいります。賛同して下さる皆様のご支援とご協力を心よりお願い申し上げます。

 

2020年1月26日

創学研究所所長

松岡幹夫

 

2020/3/12掲載