創価学会に脈動する信仰の学と未来(蔦木栄一研究員)

研究員 蔦木栄一

はじめに

 

 20194月に開所した創学研究所は、創価学会の池田大作先生が膨大な著作や言動を通して顕現し築いてきた理性を伴った信仰の学、すわなち、創価の信仰学の研究と発信を行うための機関であると私は考えます。

 信仰とは何か――その命題に対して、池田先生は信仰の必要性を論じつつも、そこに理性が伴っていなければならないことを明示されています。池田先生は、パスカルが著した『瞑想録』の一節である「人々は宗教を軽蔑している。宗教を嫌い、宗教が真実であるのをおそれている。これを正すには、まず宗教が理性に反するものではないことを、示してやらねばならない」(田辺保訳、教文館『パスカル著作集Ⅵ』)を通して、信仰について、次のように論じています。

 「信仰は、生命全体の姿勢の問題である。そこには、心の深奥にある感情や直観的英知の原理も、すべてが包含される。理論だけでは信仰にならないし、感情だけでも信仰にならない。もちろん、行動だけの形式主義でも、本当の信仰とはいえない。全的生命をかけたものが信仰である以上、理性は、当然その一部分を構成するものでなければならない。つまり、信仰するうえにおいて、理性には目隠しをして、黙らせておくという行き方は、信仰のあるべき姿ではありえない」(『池田大作全集』18巻)

 創価学会の三代会長、なかんずく池田先生は、時代的・空間的な制約を超えて世界の民衆の生命を奮い立たせ、それが人々の強固な連帯として結実しています。ここに、創価学会の信仰の事実があります。そして、この信仰の事実をもとに、学問をはじめとして、政治や教育などあらゆる分野で生きる学会員が、自らの言葉と行動で理性を伴った信仰を作り上げているのです。今日、創価学会がキリスト教徒やイスラーム教徒をはじめ世界の宗教者との対話を行っていることは、学会の信仰に超越的かつ理性的な真実の普遍性が脈動している証しでしょう。実際に、池田先生と創価学会員による無数の証明があります。

 創学研究所の開所式の際、佐藤優氏は「創価学会の文脈で言えば、仏教の創始者・釈尊からではなく、末法の時代における広宣流布を実践した日蓮大聖人から仏法を追求する立場と同じです。過去、現在、未来を時系列に結んだ歴史的直線の始まりに信仰の起源を求めるのではなく、時代的制約を超えて、民衆に開かれた宗教的普遍性が明らかにされた瞬間こそが『信仰の起点』となるのです」との祝辞を述べました。

 佐藤氏はキリスト教神学者としての立場から、創価学会の「信仰の事実」と「信仰の起点」について論じました。佐藤氏の言には、創価学会の信仰学を深化させるための鍵があるのではないか――私にはそう思えました。開所式以来、佐藤氏をはじめ、東京大学名誉教授である末木文美士氏や蓑輪顕量氏との意見交換、対談企画を進めていくなかで、創学研究所の研究事業がより鮮明になっていくことを感じています。

 創学研究所の研究事業は、すでに池田先生によって世界192カ国・地域へと宗教的実践の範囲を広げた創価学会の信仰を、学問の分野において発展的に言語化していく活動に他なりません。それがまた、創価思想の宗教的普遍性をより明らかにすることにつながると確信しています。

 

信仰と理性を架橋する信仰学

 

 池田先生は「過去の宗教は、ほとんどが理性を抑圧することによって、教義の神聖を守る常套手段としてきた。みずから省みて矛盾のない宗教のみが、理性の働きに豊かな泉を提供し、逞しき活力をもたらしてきた」、「信仰が理性と背反するといっても、それは、理性がどこまで真理を究めたかによって決まってくるものであることを物語っている。もとより、理性が発達したからといって、矛盾を生ずるような信仰が、信ずるに足りるものではないことは言うまでもなかろう」(『池田大作全集』18巻)と述べ、信仰と理性は矛盾しないこと、そして矛盾にも見えることすらも包含しゆく信仰の存在について言及しています。すなわち、理性と対立し、人間と断絶するような超越への信仰よりも、理性を大きく包んで指導し、人間的な力を生かし切る超越への信仰が語られているわけです。

 こうした信仰をもとした研究が、創学研究所に求められている活動であると考えます。もとより、「信仰と理性、信と知という一対の言葉は、人間の根本的な可能性、衝動、あるいは熱望を名づけたもので、それらを人間の生の全体のなかでどのように位置づけるかは、人間に課された永遠の課題である」(稲垣良典『信仰と理性』)との指摘もあるように、信仰と理性の関係は、一朝一夕に答えを出せる問題ではありません。キリスト教においては、すでに新約聖書にあらわれているものです。当然、この問題と真正面から向き合い、言語化していく作業には困難が伴います。こうした背景を踏まえたうえで、創価学会の信仰の立場から学問の価値を位置づけ、信仰と理性を架橋する信仰学の確立を望むものです。

  創価の信仰学はやがて、神学という言葉がキリスト教の神学を表しているように、創価信仰学という固有のタームへと昇華していくものでなければなりません。その使命は大きく、実現までの道のりは遠いものであると思います。しかし、その実現を目指し、私自身が仏法の研さんを続けるとともに、地道な研究活動に邁進していく決意です。

 

2020/5/19掲載